天台宗のおこり(2)
智顗は各地でさまざまな教えについて学んでいたのですが、法華経や大智度論などについても学びました。
その後、遊学に一区切りをつけると浙江省の天台山といわれる山にこもり、教えをまとめて天台教学といわれる教えを確立させたのです。
もちろん、お釈迦様の教えに基づいて考えられている教えなのですが、お釈迦様の説法には違いがある、というところに智顗は着目し、それを5つの時代に分けて体系的に分類しました。
これは五時八教と呼ばれていますが、その中でも最後の時代に属しているのが法華経であり、智顗はその法華経を軸にして教えをまとめたのです。
このときに智顗がまとめた「法華玄義」「法華文句」「摩訶止観」については、天台三大部とか、法華三大部などと呼ばれ、その後の基礎となりました。
智顗は天台山で修行を重ねて悟りを開いたので、その後天台大師と呼ばれるようになったといわれています。
その後、智顗の教えを弟子の灌頂が次いで、教団の基礎を確立させました。
日本では、平安時代の初期に最澄が中国で学んで日本に持ち帰り、比叡山で広めたのが基礎になっています。
この教えに感銘を受けた桓武天皇の存在によって、天台宗は広く日本で信じられるようになったといってもいいでしょう。
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