天台宗の歴史について(1)
○天台宗の歴史について 天台宗の歴史について改めて確認しておきましょう。
最澄が学んだことを元に比叡山で教えを開いたのが日本における天台宗のおこりである、ということはわかりましたが、その後、さらに学問を究め、教えを確立させようと遣唐使として派遣され、さまざまな宗派を広く学び、日本における天台宗を総合仏教へと高めていきました。
円蜜一致といわれる特徴も、禅や密教などの教えを取り入れたところから生まれてきた特徴ですし、最澄が日本の天台宗の基礎を作ったことは間違いありません。
その当時日本では、仏になれるものと仏になれないものを区別する、という考え方もあったのですが、最澄はそうではなく、全ての人は仏になれる、という法華経に基づいた教えを広めていき、そのような教えに基づく人材を養成したい、と考えていたようです。
そしてこのような目標に向かって、さらに最澄は色々な動きをしていきました。大乗菩薩の戒律にも魅力を感じていた最澄は、さらに、こうした教えを取り入れていくことも目指していきました。
それは志半ばにして彼の死によって途切れてしまうのですが、彼の死後、大乗菩薩戒を授ける、という勅許が下され、比叡山には延暦寺、という名前がつけられるようになりました。
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