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天台宗の歴史について(2)

その後、最澄の遺志をついで教えはさらに発展していくこととなりますが、3番目に後を継いだ円仁は、天台教学の中に浄土教を取り入れ、さらに密教を拡充していく、という発展をめざし動いていきました。

彼の功績は、天台宗の歴史を振り返る中では、最澄についでその功績をたたえられるべき人とされています。

彼が亡くなったとき、当時の天皇は最澄とエンジンに大師の諡号を贈りました。

それを考えると、この二人が天台宗にとってどんなに重要な人物であったか、ということがわかりますね。

その後、平安末期から鎌倉時代の初めにかけては、各宗派の開祖たちが比叡山で学ぶ、というほど日本の仏教の母体となっていきました。

仏教を学ぶ者は比叡山に、というのが当時の流れだったことがわかります。

その後、織田信長によって焼き討ちにあうなど、苦境の時代もありましたが、江戸時代になると家康にかわいがられていた天海がその失われかけた勢力を盛り返す努力をするなど、再び日本での勢力は取り戻されていきました。






天台宗と墓のまめ知識は、天台宗とお墓について解説しています。

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